KAWAGOE NEW SOUNDS

Brand New Electronic & Acoustic Music from Kawagoe Street , Japan..

レーベル10周年を振り返るブログ 第一部

「川越ニューサウンドっていうシーンはあるのー?」
まだパルコに移転する前のDOMMUNE地下スタジオで番組配信中、私のソロ作品のPVを流している間に唐突に宇川直宏さんにそう聞かれた(彼はキャスティングされたカメラの側に席を陣取り、映像やツイッターをチェックするためのMacBookを半開きの状態にして床に縦に置いていた!そうかラップトップの置き場所が無い時はああやって地面に置けばいいのかと、小さく合点した)。
「無いです無いです!勝手にやってるだけです!」
咄嗟にそう答えると一瞬、現場の空気が変わったような気がしたが、何事もなかったかのように番組は進行した。
2013年5月、metaphoricで共に活動し、その後zootapesというカセットレーベルを立ち上げ、イベント活動などに興じていた佐々木秀典氏がDOMMUNEで「現代ノイズ進化論」という番組企画をスタートさせた。
その記念すべき第1回にゲスト出演した私は、前年にリリースした1st1アルバム「Surroundly」のプロモーションおよびレーベルやmetaphoricの活動について話し、後半ではライブパフォーマンスを行うという夢のような体験をしていた(この日は私を含め、計4組のアーティストが出演し、前半で各組のトーク、後半でライブという構成だった)。以後この番組はシリーズ化して、アンダーグラウンドで活動するアーティストを取り上げるという方針を摂りながら、80年代インダストリアルムーブメント以降のノイズシーンやニュウェーブシーンの歴史を紐解く番組へと「進化」していく(2020年現在、番組回数は28回、その28回目は渋谷パルコに移転後の初回、イベント公演で来日中のDER PLANとDie Tödliche Dorisをゲストに迎えるというDOMMUNEの根幹を担う番組ラインナップに肩を並べている)。
https://kns.hatenadiary.org/entry/20130514/1368189541

今日は、3月も終わろうとしているのに、東京はそこそこの降雪で窓の外は真っ白である。
このどこか空虚で、どこか希望にも満ちた不思議な時間を利用して、偶然にも10周年を迎える我がレーベルと己の音楽活動を振り返っているわけだが(今年に入ってから頭の中では振り返りっぱなし)、ブログのトピックとして挙げられそうな話など、冒頭で書いたDOMMUNEのことくらいなもので、ましてや私の音楽が何らかのシーンの形成に結び付くことも無かったし、よしんばその片鱗が垣間見えたとしても、それらも悉く頓挫させて来た。
そんな当レーベルが誇れるものと言えば、10年間、年に一枚は作品を発表するという最初に掲げた公約を守り抜いたということくらいである。

遅ればせながら、この10年の間に当レーベルの活動に携わってくれたアーティストや音楽愛好家の方々、並びにリリースや販売、配信業の関係各社、イベントなどでお世話になったライブハウスやその他の社交場の皆様、作品を聴いてくれたり、ライブやイベントに来てくれた聴き手の皆様、そしてそのほぼ全てにおいて私の創作意欲に貢献してくれた佐々木秀典氏に深く感謝の意を表しつつ、この振り返り記事を書き進めていく意思をここに記しておきたいと思います。

レーベルとの関連性はともかく、私のソロ活動における大きな出会いといえば、川染喜弘さんだろう。
出会いと言っても、二度ほどライブイベントへお誘いをいただいただけで、それから彼に会っていない(その後ライブを観に行ったような気もするが、定かでない、ネット上のライブ動画を頻繁に観ているせいで記憶が錯綜している、2018年のDOMMUNEでのパフォーマンスも驚愕の一言であった)。
一度目はレーベル開設前の2005年、高円寺にあるレコード店兼ライブスペース・円盤で体験した彼と、他に出演していたアーティストのパフォーマンスは今でも脳裏に焼き付いている。
私はHDDレコーダーに、その頃のめり込んでいたアニメ「美味しんぼ」の次回予告の音声を録音して何話分か繋げたものを再生しながらデジタルエフェクトをミキサー内で増幅させてフィードバックノイズを挟み込むという、川染さんを意識し過ぎてただ奇をてらっただけのお寒いパフォーマンスをして客をドン引きさせた。
ちなみにその日に、出演していた佐々木雅弥氏とはその後、metaphoricのライブにゲスト参加してもらったり、私と彼と佐々木(秀典)くんのトリオ編成でとあるライブイベントの転換時の演奏依頼も受けた。
そのイベントでは私たちは三人ともラップトップという編成で、私はその頃考案したiTunes奏法(ただiTunesで再生している音を行ったり来たりさせるだけ)を用い、二人はDAWソフトを使って電子ノイズを撒き散らしていた。
二度目は私が初のソロアルバムの制作中だった2011年、同じく円盤でのイベントで、この日は他にあのDOWSERこと長嶌寛幸さんのソロ演奏も体験できた。
とにかく川染さんの音楽は彼の頭の中の世界そのものであって、あの頃も今もそれは一貫して既成の芸術概念を打ち破ろうとするものに見える(最近ではツイッター動画で観れる、楽器店で試奏できるシンセを使ったその場での即興ライブ映像が特に素晴らしく、これはアルバムでは無いが番〈盤〉外として私の2020年ベストディスクに選出したいと思っている)。
https://kns.hatenadiary.org/entry/20110810/1311336267

同じく2011年、なんと銀座のアップルストアでのイベントにmetaphoricで参加している。
この日はアップル社の製品を使ってライブパフォーマンスをしているアーティストを集めたイベント企画で、私はiPhoneアプリギターアンプシミュレーターを使ってギターのドローンサウンドを再現した。
主催者は古くからの音楽仲間で当時はiPhoneで音楽制作をするためのガイド本を出版し、その流れでこの企画を打ち立てたらしい。
この時の大きな出会いは映像作家の吉井かずとさん(ASA-CHANG&巡礼のPV制作ほかミュージックビデオを多数手がける、現在は映像作家をしながら高崎で日本茶カフェを営んでいる)で、以後、彼にPV制作を依頼することになる。
https://kns.hatenadiary.org/entry/20110226/1295711990


『インターネットと川越ニューサウンド
私が自室にネット回線を引いたのはおそらく2002年頃だったと思う。
その時私は川越で一人暮らしをしていた。メンバーの相次ぐ脱退(就職)によってバンド活動をできなくなった私は再びテクノの影響下にある打ち込みを用いてソロ名義での活動を始めようと、ならばホームページを作って曲をネット上で売れば良いなどと高をくくって安い中古PCを揃えてモデムを繋いだ。これらは全て学生時代の友人に世話をしてもらった。
彼がいなければ、私は今こうしてネット上で音楽活動など出来ていなかったかもしれない。
あの時、ホームページを作るのに必要なHTMLという言語や、当時流行していたFlashというソフトのことを教わり、入門書を片手にモニターとにらめっこしていたからこそ、現在の川越ニュ-サウンドがウェブ上でいくらかでも機能しているのである。
レーベル活動後に私にまず魅力的に映ったのは何と言ってもUstreamだ。かのDOMMUNEも開設時はこのUstreamチャンネルを利用して配信が始まった。
スマートフォンのカメラを利用して生配信することも可能だったこのツールを利用して私はmetaphoricのスタジオでの風景、時には飲食店でただ二人で食事をしながら談笑するところも配信してみたりした(これはおそらく、それ以前に一時期熱中していたデジオという文化の影響だろう。デジオとは、タナカカツキが始めた声のブログのようなもので、日々の日記のように自分の一人喋りを録音してmp3でアップロードしていくというものだ。これに感化された周りのクリエイターなどがこぞって同じようなことを初め、そのためのポータルサイトデジオ宇宙が作られた。私もそのコミューンに参加したくて、最初はスケッチのような曲を今はなき音声ブログ・ケロログのアカウントを作ってアップし、RSSを手書きで更新してそのデジオ宇宙にバナーを貼り付けたりもした。後に一人喋りもアップするようになるが、どうにも小っ恥ずかしくて長くは続かなかった)。
そして自宅の制作環境をUstreamへ繋ぎ、iTunesに読み込んだ音源やネット上のあらゆる音声をリアルタイムでコラージュするという実験放送を行った。
いずれもフォロワーの数はゼロに近かったが、ライブ演奏や作品のリリース以外の手法、またはそれらを掛け合わせたような表現媒体の可能性を模索する良い機会であったと思っている。
この頃、インターネットというツールは既にSNS全盛時代であった。もちろん私のような無名の作り手には格好の宣伝ツールになるだろうと期待し、これらを更新することも音楽活動の一環であると捉えていたのだが、個人的な理由で私は一度、これらを全て放棄することになる。そんな中でも細々と続けていたのはレーベルの公式サイトとして利用していたはてなブログである。これもレーベルを始める前から利用していたツールであり、このブログブームはゼロ年代の私にとっての一つの拠り所であったと言っても過言ではない。このツールを通して私は大友良英氏を深く知り(彼のブログの更新頻度はいわゆるブロガー並みで、それを毎日のようにチェックしていた)、吉田アミ氏に出会う(私がブログを始めた時、既に彼女ははてなを代表するブロガーの一人だった。彼女が独自の情報収集力を駆使して作り上げた「日日ノ日キ」は自身の前衛家、そして<ハウリング>ボイスパフォーマーとしての活動を含めた一つの芸術表現であり、私はその魅力に打ちのめされ、強い憧れを抱いていた。この一方的な思いは後の吉祥寺GRID605でのイベント主催に結実している)。
さて、CDの流通と同時に発生するのが配信サービス問題であるが、これも販売会社の方で難なく対応していただき、またダウンロード販売からサブスクリプションへの移行も比較的スムーズに出来た。このサブスクリプションについては、始まった当初どうなるのか懸念していたのだが(AppleMusicサービスが始まってすぐに、販売会社の方にメールしたのが功を奏したのか)、割と早い段階で移行の提案をいただけてホッとしたのを覚えている。

なんだかレーベルのことよりもそれ以前の振り返りの方が多くなっている。
おそらくこの10年は、それまでに積み重ねてきた体験や模索を具体化する期間だったのだろう。
また自分が思い描いてきた、自分だけにしか作れない音楽を形にするために、どういうやり方が一番自然であるのかを精査する期間でもあった。
図らずもこの期間に浮き彫りになったことは己の作り手としての弱さや、受け手としての高慢さで、そのような個人的な諸問題に正面から向き合おうとはしない恐ろしく楽天的(人並み以上に躁鬱が反発しているという意味で)なこの性格だった。しかしながら、その性格のおかげで10周年を迎えることが出来たとも言える。ライブ活動も嫌になったし、定期イベントの企画も二回で頓挫した。そのような経緯もあって、今や人間との関わり合いが鬱陶しくなって何かを共に作り上げるという機会も激減してしまった。
それでもこんな私のような者に寄り添ってくれたり、色々と感化させてくれるアーティストがいるのだから私は幸せ者である。特に(名前を出しても怒られなさそうなのは)レーベル設立前から私の同士でいてくれる佐々木秀典氏や、同じく長い付き合いで、このレーベルからアルバムをリリースしたいと申し出てくれた關伊佐央氏(2017年、彼は初のソロアルバムを当レーベルからリリースした)の存在は大きく、また彼らの精力的な創作活動にも常に敬意を払ってきたつもりだ。

『作曲・即興の技法と概念』
仰々しいタイトルを冠してみたが、中身は全く大したことはない。
レーベルを始めた頃の私の制作環境は既に完全にPCベースになっており、DAWはプロツールズを入れていた。
インターフェースもミキサーも安価なものだったが一応一通り構築して何とか一端の音楽作品を世に送り出したいと奮闘する日々だった。
最初に流通させたmetaphoricのアルバム(confirmed lucky airは2009年に一度CDRでリリース、マスタリングされた音源はその少し前に存在した)は全て佐々木秀典による録音、編集によるもので彼はその頃、Ableton Liveを使っていた。このユニットではそれ以前にCDRで1stアルバムを自主制作(2007年)していたが、この時期にはまだ私はDAWソフトを導入していなかった。1stの録音はポータブルのステレオレコーダー(WAV形式)だし、その素材を音量補正したくらいだ(フリーソフトSound Engine、PCは自作Win)。とはいえ、学生時代(一応音楽系の学校)はApple社のVisionを使った講習も受けていたし、一連のDAWベースでの制作技法の知識も持っていた(はずである)。ただ、自分の未熟なギターによる即興演奏が素材として切り貼りされて再構築され、こうして具体的な作品として提示されたことに大きな感動を覚えたのは言うまでもない。つまりこの作品を聴くことによって私の作曲技法は明確に更新され、この瞬間にレーベルの方向性が決定し、自身のサウンドメイキングに対する志向性や現代的な制作環境との距離感が明確化した。そして今までの音楽体験の蓄積から必要な知識や思想が取捨選択されたことによって、今自分に何が必要かわかってきた。
反射的に一人で盛り上がってレーベルまで始めてしまったように見えるが、そこまで答えが出てしまったのだから、おそらくこの時の一連の私の行動は必然だったと思いたい。そして結果的に10年も続けることが出来たという事実も、只の思いつきではなかったことの裏付けにも有効だろう。
人生で初めて、自分の手で世に作品を送り出した私が次にとった行動は、もちろん次のリリースに向けた作品の準備である。metaphoricは既に私と佐々木のユニットになっていたことから、今度は私の主導で一枚作りたいと思っていた。そして彼がその後も続けていた録音活動に目を付け、他のアーティストも巻き込んだ作品を作れないかと考えた。
そこで私たちの身近で活動している5人の音楽仲間にそれぞれソロで即興演奏してもらい、加えて私たちの即興演奏も素材にしてそれらを組み合わせ、大幅なエフェクト処理やリズムプログラミングを加えることによって、ドローン的な前作とは対称的なビートを強調したいわゆるクラブサウンド的なアルバムを目指した。ただ、演奏自体を一部切り取ってループさせるようなことはせずに、あくまで個々の演奏による構成を尊重するように心がけた(それでも編集した音を聞いた参加者からは口々に元がわからないと言われてしまった)。その辺りのルール建てが私の中で、コンピューターによる制作環境においての即興(演奏)と作曲(編集)の結合点ではないかと思ったからである。さらに、前作のドローン、アンビエント的な音響空間という意識においても、自分なりに踏襲するべきだと考えた末の制限でもあった。
それでもあえて、前作とは違った方向性のものにしようと思ったのは、まずは前作のようなものを作ってもその完成度を超えられないだろうという逃げ口上と、自分の今まで影響を受けてきた既成の音楽と向き合い、それらをこのアルバムに全て盛り込んでしまおうという気構えが同居していたからだろう(これは制作中の思考ではなく、作品が完成して感じた結果論)。そしてこのアルバムの制作時に組み上げた即興的な音作りとソフトウェアによる編集技法による方法論のようなものが、次の自身初のソロアルバム制作への道標になったのである。

第一部 完

knsasl.hatenablog.com