KAWAGOE NEW SOUNDS

Brand New Electronic & Acoustic Music from Kawagoe Street , Japan..

レーベル10周年を振り返るブログ 第二部

knsasl.hatenablog.com

『ソロ三部作と四作目』
2012年にSurroundly、2014年にElektricity、2016年にBeatificallyと、1年おきに3枚のアルバムをリリースした。
3枚目のアルバムをリリースする際、私はこの3作を連作ということにして、サラウンドリィ三部作とPR文やCDの帯文に書いてアピールした。
これは私の中だけで別称があって、Guitar Rig三部作だと思っている。とにかくこのギターアンプをシミュレートするプラグインソフトのおかげで3枚もアルバムを作れたのだから、これを開発したNative Instlmentsには足を向けて寝られないくらいである。わたしはこのソフトの個性的な機能をおそらく本来とは違う使い方をすることで自作のノイズ発生マシンとでも形容できそうなシステムを組み上げることが出来た(具体的な操作法はここではあえて書かないが、別に企業秘密でもなく、たいしたことはしていない、たまに作り方を聞かれれば事細かに相手が嫌がるくらい説明している)。
もちろん1stではギターの演奏をベースにした曲もあるので、そのアンプリファイドされたように聞こえる音は全て、このソフトを経由したものである。しかしながら、2nd以降は一切ギターを使っていないので、もう完全にフィードバックやノイズ、その他電子音やディレイ効果を複雑にブレンドして鮮烈なサウンドを生み出す装置としてそこに存在していた。
例えるなら、ギター(またはその他の楽器)とアンプの間に多種多様なエフェクターを経由した状態で私が演奏していると、各エフェクターを持った係員が一斉にそのエフェクターのつまみを左右に回し始めるという状況である(なんなら、私が音を出す出さないに限らず、立ち上げた瞬間に彼らは終始つまみを勝手に弄っている、3rd制作時にはもう、少しでも繋いでいるシールドが擦れて接触音でも出そうものなら、忽ちにしてそれが増幅してぶちまけられてしまうほど手を付けられない状態まで成長<増殖>していた)。
このサラウンドリィエフェクトシステムを試験的に導入して作ったのが1stアルバムSurroundlyであり、これを制御することで作曲プロセスに取り込んだものが2ndアルバムElektricity、そして意図的に限界まで発展させ、暴発した状態、もはやシステム自ら作曲、演奏をしているような次元まで進化させたものが3rdアルバムBeatificallyである。
さながら私は録音エンジニアにでもなったつもりで、全ての曲において複数のテイクを録音し、その中から厳選したものをアルバムに纏めるという作業に終始していた。テイクを重ねる度に、調整を繰り返し、その曲にとって最良の設定を見つけるのに四苦八苦した。当然楽曲のベースは私が拵えたものだが、それはあくまで準備でしかない、作曲するという行為の前段階、すなわち現代音楽でいうところのプリペアドというもの(こう例えると何とも高尚な感じがしてくるが、実際に1st制作時のギター演奏には弦やネックに異物を挟んだり引っ掛けたりしたプリペアドギターを使用した曲もある)である。
このような主旨の作品を3枚作れたのも、私のこの性格の賜物なのかもしれない。
楽天的かどうかという問題はさておき、私は全て自分の頭の中で作り上げたものを具体化することにあまり興味がない。
所詮、一人の人間の頭で考えるものなど、限界がある、良い曲を作る自信はあるが、新しい音楽を創造する自信は無い、これだけ多種多様な音楽が存在する今、誰も想像しなかったようなアイデアが私の中から生まれるのかと自問自答に耽ったまま天に召されてしまうような気がする。世界で高い評価を得ている先鋭的な音楽家であっても、そのジレンマは少なからず持っているのではないだろうか。その証拠に例えソロであっても、プロデューサーを付けたり、バンドを従えたり、自分とは違う視点から作品を見つめ直すことで新しい可能性を見出そうとするのだ。私はそれをソフトウェアのランダム指数に求めたということだ。
話をソロ作品のリリースに戻すが、2016年に3rdを三部作の完結編としてPRした、すなわちこの時点でこのやり方でのアルバム制作は終わったということである。
だが私は2019年に再びこれを踏襲した形でアルバムを完成させた。
これを作ったきっかけは、制作環境の刷新を図ったこと。まずDAWソフトをプロツールズからCubaseにした。これはプロツールズのバージョンが古く且つインターフェースも新しいOSに対応していなかったためで、まず自分に合いそうなインターフェースから探し始めて、それにセットで付いていたCubaseの廉価版からアップグレードしたという手順である。そして前三部作で大活躍したGuitaRigもバージョンアップさせた。この環境が出来上がってそれぞれのソフトウェアにはどういった特長があるのかを探りながら音を出したり加工したり編集したりしているうちに出来てしまったのが、Contemporallyである。
まさに出来てしまったという表現が適当で、実のところもはや一年に一枚アルバムを出すという公約もここまでかと、半分諦めかけていたのだが(前年は過去の未発表音源をリリースすることでなんとか乗り越えたくらいだ)、それこそ天の助けではないかというくらいスムーズに出来てしまった。とはいえ、前と同じようなものでは意味がないし、これまでの作品を凌駕するくらいでないとリリースする意味もない。エフェクトによる効果は明らかに前と違ったものになっているから、あとは私のベーストラックがどこまでこの新プラグインシステムの効果を引き出すかという問題である。
この作品でベースにしたのは通奏音、持続音、つまりドローンやアンビエントと言われる作品で多用される手法で(この頃偶然聞き込んでいたBrian EnoのDiscreet Musicの影響か否かは不明)、これを基調にすることで激しく暴れまわるエフェクト効果に音楽的な流れ(調和)を与えることができた(と思う)。
結果的に一回終わらせたものの続編を作るというやり方に近い形にはなったものの、これまでの音楽遍歴を振り返っているような感慨深さもあり、新しいオモチャ(VIsionやそれ以前のハードシンセのシーケンサーなどでコツコツと打ち込み音楽を作っていた私には現代のソフトウェアは文字通りオモチャのような体裁を成しているように見えてしまう)を弄り倒している感覚のまま一連の作業に没頭することができた。

『川越ニューサウンドの音楽性』
ここまで様々な視点で記憶を呼び起こしてきたが、レーベルの音楽性についての話をしていなかった。
というか、果たしてレーベルとしての方向性みたいなものはあったのだろうか。
振り返ってみると、そういう説明を求められた記憶がないし、はっきりと決めたこともない。
当たり前のようにギターを弾いたり録音したり、またはソフトウェアの音源だけで作ったり、なんとなく電子音響とかドローンとかキーワードはあるのだが、改めて作品を並べて見てみると、それぞれの作家性は感じるが一概に電子音響レーベルとは言い難いし、アンビエントでもない。さらに当たり前のように基本インスト、私自身もサウンド志向が強いので、音楽で伝えたいことなどないのでメッセージ性はゼロと言って良い。
要は面白い音が鳴っていれば良いというのが、どうも私の音楽的見解であって、もっといえば面白い音にしか私の中で音楽と識別する判断基準が見当たらない。また音楽に対する探究心はその逆の方向へ向かうものを求めているとも言える。
例えばジョンケージの4分33秒という作品はある意味音楽という概念に対する答えのようなものであると私は考えている。
あれ以上の音楽などもう生まれないだろう。大喜利でもあまりに優秀なボケが出ると、それが答えだと言い表されるように、もうそれを出されたら敵わない、ということなのだ。
この作品以降、音楽の概念とされていた境界線のようなものが消失した(またはクルッっと裏返った)ように思う。
強いて言えば、私は音楽を作るときにその境界線のぼやけた辺りに狙いを付けて音を出したり弄ったりしている。
理想を言えば、ジョンケージにこれは音楽では無い、私には理解出来ないと言わせてみたい。
極論はそういう意向なのだが、おそらくジョンケージ以降まず何をやっても音楽になってしまうだろうという開き直りの姿勢を盾にしているとも言えるのだろうか?(誰に聞いているともなく)
結局、音楽性の話になっていないかもしれないが、とにかくドローンやアンビエント、テクノやエレクトロニカなどの影響下にあるようなサウンドを用いながら、それらのジャンルやシーンからは脱しているようなものを生み出そうと模索している、と言えば多少は腑に落ちていただけるのだろうか。
少なくとも私が関わった作品は結果的にどう聴こえていようが、そういう意図を持っている。
例えばジャンルに囚われない自由な音楽とか言う表現は似ているようで少し違う。
自分がこれまで音楽や音楽以外の様々なものから影響を受けて、好きに作っているのだから、そこに自由も不自由も無いだろう。
いや音楽は自由であり不自由であるべきだ。
なんだか批評めいてきて気持ちが悪いからこの辺にしておこう。
本当は誰々の影響を受けたとか、あの曲に感動したという話を書こうとしていたのに、思考が指へ到達する頃には抽象的な言葉に変換されてしまったようだ。
なので私が理想に近いと考える作品を(頭の中だけですぐに思いだせる範囲で)いくつか挙げておこうと思う。
Philip Jeck - Loopholes , Gil Melle - Andromeda Strain OST , Yasunao Tone 諸作 , shotahirama - Cluster , Oval - Systemisch , Hecker - Acid in the Style of David Tudor , The Music Improvisation Company


『レーベル活動の真意』
さて、私がこのレーベルを始めたきっかけは第一部から再三登場している佐々木秀典氏の功績によるものであるが、こうして活動を継続してきたのは、そもそも何故かという話でもしてみよう。
まず大きな理由の一つは、これまでに自分の作品を世に出したくても出してくれる所が無かったということだ。
高校生の頃から多分にもれずミュージシャンになりたいと思っていた私は、多分にもれずデモテープを雑誌の寸評コーナーやレコード会社のオーディションなどに送ったり、大学生になってバンドを結成してからはやはり多分にもれずライブ活動もしていたが、それがいわゆるデビューに繋がることはなかった。ならば自分で勝手にデビューしてしまえば良いではないか、という発想は私の世代では既に当たり前の感覚になっていたかもしれない。90年代はインディーズという概念がメジャーに対しての一つの方法論として様々な業種においてもある程度機能するようになった時代と言える(ベンチャーという言葉が出てきたのもこの頃だろうか)。私がどっぷりと浸かったテクノブームなどは、まさにインディーズという分野の可能性を押し広げたもので、日本で有名なテクノレーベルはほとんどがインディーズであった。そして渋谷系というブームも著名な作家や批評家がメジャー傘下という形で興したインディーレーベルを運用することがブーム活性化への要因の一つでもあった。
そんな時代に多感な時を過ごした私もこれまた多分にもれず、自主制作も一つの手段だなという感覚は備わっていた。
そして2010年当時の私がもう一つ思ったのは、CDが売れなくなったこんな時代だからこそ、あえて普通にCDを作ってリリースするということをやってみたい、ということ。つまり自分が音楽で生活することよりも、ただレーベルを作って作品をリリースすることで、結果的にディスコグラフィみたいなものが出来上がって、既成事実として私が音楽活動をしたという形跡が残るだろうという良からぬ好奇心が働いたのである。
事実、リリースした作品は悉く在庫の山として売れ残ってしまった。
最初のmetaphoricのCDは佐々木氏の営業努力や川越ニューサウンドという風変わりなレーベル名の印象も手伝い、さらには周りの同世代の音楽仲間や知り合いにも物珍しく映ったようでそこそこ在庫は捌けたのだが、それ以降は私の経営者としての無能さが際立つばかり、本当にリリースするだけでそれ以上のことは何もしなかったものだから、はっきりいって10年前と今で、このレーベルの認知度は微塵も変わっていないだろう。
だがこうして、私の手元には8枚のCD(うち1枚は100%他力)と4つの配信リリース作品がある。
在庫管理上の諸事情によって去年からCDリリースは止めざるを得なくなってしまったが、こうして一つのディスコグラフィが出来上がって、私が思い描いたような既成事実だけは何とか実現することが叶ったわけである。
人にこのレーベルの話をする時、私はよく思い出作りという言葉を使っているが、それも別に自分を卑下して言っているわけではなく、その言葉通り、私は色々とやりたかったことをこのレーベル活動の中に盛り込んでいるに過ぎない。
それは例えばジャケットのデザイン(ジャケといえば顔ジャケだろうと、自分の顔写真をデザイナーに送りつけてみたり)やPV制作、またはレーベル主催のイベントなどであり、そういうクリエイター然としたことを一つ一つ実行してみるというのがそもそもの目的だったのだ。
かといって、作品自体が中途半場な出来だとは思っていないし、毎度作品作りに没頭しつつ自分が興味深いと思える所まで持っていくことを意識していた。ソロでもユニットでもそれぞれの個性が出たものばかりだし、認知度も人気も高くないとはいえ、様々な作り手と作品やライブを通じて交流出来たことは個人的な思い出としては贅沢なくらいだ。
この10年の出会いも別れも全て含めてレーベル活動の糧になっていただろう。
問題はここから先の10年である。この10年の既成事実をどのように展開させていくのか、はたまたここで凍結または保留させてしまうのか。それはあなた方受け手の皆様次第なのかもしれない(絶対違う、責任転嫁ダメ!)。

『これからの川越ニューサウンド
さて二部構成にしたものの後半グダグダという顛末を迎えそうなこの振り返りブログもそのグダグダ感を保ちながらこの辺で締めにかかりたいと思う。
左記に述べたように、今こうして10年もレーベルを続けられたことに少なからず満足している私に、この先10年のことを考えろと言っても無理な相談で、これといって展望など無い。
ならば11年目をどう過ごすか、それを考えようとしている矢先にこの緊急事態宣言一歩手前という状況だ。
私が岐路に立った時に考えるのは、相対する二つの間にあるものを目指すということ。
このレーベルにはファンどころかアンチさえいなかったが、何事にも賛成も反対も無い、というのが理想である。
別にバカボンのパパを引き合いに出すつもりも無いが、争いの多くは行き違いであり、論点が合致していないだけなのだ。
窮地に立つ人々が声を上げていれば耳を傾けたいし、逆に人の絶望を煽るような非情な言葉も、それが虚言でなければあえて否定することもないだろう。
この態度を無責任と言うのなら、そう、私は無責任男である。
極論を言えば、マスクを買い占めて高く売りさばく生き方に良いも悪いも無い。
ただ私はそう言う人からマスクを買わないし、そういう生き方をしている人の顛末を勝手に想像するだろう。
問題なのは自分で決めた生き方や態度を貫き通せるかどうかで、人の善悪を推し量ることでは無い。
そのような小さな善悪をあげつらって諭したところで状況は何も変わらない。
魔女狩りが昔も今も無くならないのは人間が弱いからである。
つまり目の前の小さな悪に黙秘(沈黙もまた批判たりうる)できないというのが人間の弱点だ。
本当の悪は目に見えないところに巣食っているのに、手近にある気に入らない案件を根絶しなくては安心できないのである。
そういう案件に一番効果的なのは無視することであることを知っていればいくらか楽に生きれるかもしれないし。
何よりそれを利用して優位に立とうとする者が無視されるという辛さを知れば、本当に根絶出来るかもしれない(どこかの学者が書いたそんなような本が話題になっていたが・・・違う?)。
私の無責任とはこういう内訳なのである。
つまり無駄な責任を感じるなということで、また無駄に責任を人に押し付けるのもまた考えものであるということだ。
私自身、これを念頭に置いておきながらも、ついつい忘れてしまうこともある。
だが、この志向性が10年間というレーベル活動を支え続けたというのもまた事実である(なにせ自分が10年間ほとんど無視されてきたと考えれば、嫌でも継続は力なりという言葉が身に染みてくる。それでもこんなちっぽけな既成事実などちょっと手を止めれば瞬く間に歴史の藻屑と消えるのだろう)。
話が横道に逸れに逸れて(終いには溜めに溜めた愚痴も溢れて)しまったが、誰もここまで読む人などいないだろうという憶測のもと、やにわにこのグダグダさを反省しつつ、思えばプロローグのDOMMUNEのネタがピークだったことを改めて自覚したところで終わりにしたいと思う。

第二部 完