KAWAGOE NEW SOUNDS

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ANOTA20世紀音楽補完計画 ~ アノタさんにANOTAについて詳しく聞いてみよう!<後編>

knsasl.hatenablog.com

みなさんご機嫌いかがでしょうか。
無名のレーベル川越ニューサウンド代表庭野です。
さて先日公開した、私の新作シリーズ"ANOTA MUSICAL PIECE"について、この作品の要人であるアノタさん(あえて擬人化しています)に色々聞いてみようという主旨の対話形式インタビューですが、話が長引いてしまったため二部構成になったことをここでお詫びしつつ、改めて対話を続けさせていただくことを俄かに宣言させていただきながら、唐突に本編へ入りたいと思います。

庭野(以下・庭):さあ前回のつづきになります。アノタ先生、今回もよろしくお願いします。
アノタ(以下・ア):今回は言いたいことを言い切って手短に終わらせられるように頼むよ、庭野くん。
庭:はい。是非言いたいことを言ってこんな世の中を変えていただきたいと思います。
ア:早速フガフガしてるけど、まあいっか、では前回の最後に予告したように今回は20世紀の音楽についてアノタ的に最も重大と思われる案件について話しておこうかな。
庭:おっ、多少揺さぶられても倒れない強靭な進行力を身に付けたみたいですね。まるでレギュラー番組を何本も抱える司会者タレントのようだ。
ア:君は前回から何も変わっていないようだね。まあいい。さて20世紀の音楽はいつ始まったと思う?
庭:いつ?20世紀だから20世紀の始まりの日じゃないですか?1901年の元旦でしょう?
ア:君はバカなのか?だったらこんな質問をすると思うかい?もしかしてバカなふりをして僕に答えさせようとしているのかい?まあとにかく手短に行くよ。20世紀の音楽はズバリ、20世紀の半ばになってようやく始まったのだよ。正確には1952年だ。
庭:え?そんなに遅いんですか?
ア:よく考えてみたまえ。20世紀になって急に19世紀の音楽が無くなって新しい音楽が生まれると思うかい?
庭:たしかにそんな簡単に事が運んでしまえば、音楽の歴史なんて薄っぺらいものになってしまいますね。
ア:だろう?そりゃあ、20世紀に入って新しい考え方はいくつも出てきたと思うよ。現代音楽やブルースといった20世紀的な音楽の萌芽は世紀の変わり目には既に点在していただろうね。あくまで想像の域を出ないけどね。
庭:何となくですが、アノタさんの言いたい事が分かりましたよ。つまり、1952年に19世紀の音楽が完全に覆るようなことが起きるわけですね?
ア:すこぶる勘が良いね、さすが僕を宿しただけのことはある。
庭:ありがとうございます。で、何が起きたんでしょうか?
ア:何が起きたか、折角だからネットのコンテンツを活用して紹介しよう。20世紀半ばに起きた大事件、大発明といえば、、、


www.youtube.com

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庭:ああ、やっぱりこれだと思いましたよ。このシリーズの煽り文句でも散々彼の名前を出していますからね。ジョンケージ作曲「4分33秒」ですね。確かにこれは事件ですよ。そりゃこんな時代でもリモートで演奏したくなりますよね!
ア:まあ今更この動画を見て驚く人はたかが知れているけどね。でも、それまで何度も繰り返されたであろう音楽という概念の拡張がここで御破算になったんだと想像したら、彼の音楽を知っている人でもやっぱりちょっとは震えるんじゃないかな。つまりね、音楽というものはそれまで他の芸術、美術や建築、料理などとは別々の場所に存在していたわけだ。芸術というのは実にうまく出来ていてね、例えば一つ街が出来るまでにそこに様々な建物が建つと、その建物の中に家具が置かれ、絵や美術品なんかが飾られてね、料理やお菓子がテーブルの上を賑やかにする。そしてその空間に音楽が流れ出すんだ。こうしてそれぞれの場所でそれぞれの瞬間に芸術があってそれらが共存しているのが人間の生活というものなんだよね。それがジョンケージの出現によってひっくり返るんだよ。わかるかい?この作品が音楽として認められた瞬間に音楽という存在そのものが他の芸術にも侵蝕し始めたということなんだ。つまり建物を建てるのに石を削ったり木を切ったりする音が聞こえるだろう?あれも音楽の一部ということなんだ。絵を描くという行為にだって少なからず音という要素が関わってくる。つまり絵を描いているように見えて実は音楽を演奏しているのかもしれない。つまりね、人間が音というものに耳を傾けさえすれば、そこに音楽が存在するということなんだよ。それを彼は演奏者側を黙らせることで表現してしまったのさ。彼が凄いのはその発想力だけじゃなく、この音楽的大発明を恐ろしく簡略化して誰にでも伝わる作品にして発表してしまうプレゼン力だよ。
庭:なんかノンストップで言いたいことを言い切った感も否めませんが、その通りだと思います。あの瞬間に20世紀の音楽が始まったのですね?
ア:ああ、言い切ったさ、でないとまた君の悪ふざけに付き合わされるかもしれないからね。必死だったよ。
庭:で、そのジョンケージ以降が20世紀音楽だとして、それらが発展してきた今私たちは一体何世紀の音楽を作っているんでしょうか?
ア:偉い!偉いぞ庭野くん!私の話を聞いてそういう疑問が湧くっていうことが素晴らしいよ!
庭:私たちが生きているこの21世紀、果たして音楽的には今、何世紀なのでしょう?
ア:庭野くん!僕は涙が止まらないよ!君はいつもつまらなそうな顔をして家の中じゃ一切喋らないし、何を考えているのか分からなかったけど、そこまで音楽のことを考えていたなんて知らなかったよ!
庭:え、私の評価もともと何点だったんですか?ていうか先生はそもそも何故私の中に宿ったのでしょう?
ア:なあに、点数なんて気にするな!先生の中にそんな概念は存在しないぞ!君に宿ったのは、まあ何かの運命だろう。そこを説明しだすとまた話が長くなってしまうよ。
庭:そうですね。では本題に戻りましょう!先生、20世紀音楽補完計画とは一体、、、
ア:そうだな、強いて言えば、今君達はそういう計画の下で音楽を作っているんだということなんだよ。つまりね、君に何もかもこれまでの音楽歴史を総括して新しい音楽を生み出せと言っているわけではないんだ。僕が提示するのは今この世界が置かれている音楽的状況であって来たるべき21世紀の音楽へ向けて20世紀の音楽はそれまでの音楽も含めて補完されるだろうという予言みたいなものなんだ。だからね、その世紀の音楽が生まれるには大体半世紀かかるって単純計算をするとね、21世紀の音楽が生まれるまであと30年くらいあるってことなんだ。もう少し早まるかも知れないけど、あと20年としたってこう考えると割と余裕があるなって感じないか?それまで20世紀の音楽はまだ発展の余地があると考えることも出来るんだよ。これがアノタ的な音楽概念の一つの捉え方だと思ってもらえたら嬉しいよ。
庭:なんだか包容力のある発想にも見えますが、結局何の主張も無い、ただの無茶振りのような印象も受けますね。それにその半世紀後っていう計算は20世紀のジョンケージの出現を例に挙げてるだけで、その前の世紀とかはどうだったんだ?って思いますけど。
ア:君の言う通りだよ。20世紀の音楽がそうだったからといって21世紀の音楽もそうだとは限らない。では19世紀の音楽はどうだったかな?19世紀半ばといえばオペラの絶頂期、ヴェルディの「椿姫」初演が1853年。ちょっと弱いかな?18世紀といえばバッハ。彼の「平均律クラヴィーア曲集」や「クラヴィーア練習曲集」の第4巻「ゴルトベルク変奏曲」は1740年代に完成している。そしてちょうど1750年に他界しているようだ。
庭:確かに各世紀の半ばに音楽が発展したり完成している印象はありますけど、基本的に常に様々な芸術が激変していますからね。「新世紀音楽半ば成立説」は少しこじ付けに思いますけど。
ア:庭野くん、このコンセプトは別に統計学に基づくものではないんだよ。もっと直感に従いたまえ。それにね、僕は何かを主張したいわけじゃない。アノタ宣言にも書いているだろう?何も宣言していないって。
庭:では何故わざわざ宣言分を公開したり、作品シリーズを私に作らせたりするのでしょう?
ア:おいおい君は賢いんだからよく考えてくれよ。この宣言を公開したり作品を作ってリリースしているのは誰だい?
庭:私です。
ア:そう、君だ。君が私の存在に気付いて君が自分で作ったものをANOTAシリーズと名付けたから、今こうして僕はアノタとして君と話しているわけだ。
庭:そうか!私のせいなんですね?
ア:そう、君のせいだよ。思い付きは君の専売特許だろう?だってもし他の人間が僕に気付いていたら僕はアノタではなかったかもしれないんだよ。これも宣言に書いたよね?「ア」で始まる三文字は誰の中にもあるってね。
庭:ではもしかしたら、私以外の誰かもあなたの存在に気付いて「ア」ではじまる三文字を使って作品をリリースしている可能性があるということですか?
ア:いやそれは無いよ。そんな物好きは君くらいだと言っても差し支え無いだろうね。だってそんなことをしたって作り手には何の得も無いからね。実際のところANOTAというタイトルにしたおかげで君の作品が売れたという実感はあるかい?
庭:いやそんな実感あるわけないでしょう!逆に今まで懇意にしてくれた奴らも軒並み遠のいていってますよ。こいつとは一線を引くべきリスト入り確定でしょうね。というか、「お前急に何聞くねん」的な感情が込み上げてきてますよ。
ア:そうかそうか、それは僕が悪かった。それでこそ君だ。君がそういう態度でいてくれるからこそ、僕はこうしてアノタとして人前で話をしていられるわけだからね。何かに期待していたのは僕の方だったかもしれないね。
庭:何を仰いますか。あなたのおかげで私はまた何かを作る気になれたんですよ。知ってるでしょ?私はずっと前からあなたを探していたんです、、、WinWinということでいかがでしょう?
ア:勝ち負けではないけどね。僕らはお互いに引かれ合うものがあるということだね。
庭:はい。何せ私の名前の中に存在していたんですから引かれ合うのは当然です。
ア:君は自分のことが大好きだからね。
庭:はい。私は自分のことが一番好きですね。好き過ぎて時々嫌いになることもあるくらいです。
ア:そこまでぶっちゃけられると私の方が恥ずかしくなるね。
庭:あの、それでまたジョンケージのような人が現れるまで、僕らは何をしたら良いんでしょうか?
ア:庭野くん、それは愚問だよ。君は私の期待が自分に全て向けられていないと分かって少し気が緩んでしまったんじゃないか?君には君にしか作れない音楽があるということを知っておきたまえ。そして来たるべき新世紀の音楽について考えるのは世界で活躍する著名な作曲家だけの責務では無いということもね。君は既に新しい音楽に関するヒントを得ているんじゃないか?
庭:音楽は元来聴取されることを前提に作られているという根本的な存在理由のことでしょうか?
ア:そう、その単純で一見動かしようの無い事実に、君は最近疑問を抱いた覚えがあるんじゃないか?
庭:でもそう思いながらも私は結局その音楽に耳を傾けていました。
ア:そうか、でもその瞬間に立ち会えただけでも、良い線まで行っていたかも知れないよ。
庭:それでもあなたのような方に私はすがりたいのです。私には到底考えも及ばないような発想を既にお持ちではないのですか?
ア:ここまで僕と話してきても、まだ君は神頼みでもするかのように、音楽を何かの博打打ちのように扱おうとしているのかい?
庭:いいえ、そんなつもりはありません。そう思われてしまっては元も子もありませんよ。ただ私はあなたの期待に応えられるかどうか自信が無いのです。
ア:そうか、それもまた君らしいね。では、君が最後の最後で僕に投げかけた愚問にあえて答えてあげよう。来たるべき新世紀音楽誕生の瞬間まで君は、、、
庭:ゴクリ、、、(生唾を飲み込む音←これも音楽なのか?)
ア:大好きな将棋でも観ておれ!
庭:え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!

そう言い放ってアノタさんは私の前から消えてしまいました。残念ながらもう会話は出来なくなりましたがアノタさんは私の中のどこかにいて、きっと私のすることを見守っていてくれるでしょう。また良きところで姿を現すかも知れません。結局のところこの対話をもってしてもANOTAシリーズで何を表現したいのかは伝わらないかもしれませんが、私は作品や自分の思想などを全て理解してもらおうとは思っていません。何やら楽しそうだ、とか何やらおかしな奴がいる、などと少しでも興味を持ってもらえればそれでいいと思っています。もちろん自分の作る音楽が認められてそれが生きる糧になれば世の中と一緒にうまく回ることが出来るのでしょうが、そこに力を注げないのが私なのです。これは人間嫌いな私が最も譲歩の形として出来る最大限のプレゼンテーションであり、創作活動の理想を掲げるものとしていくらかは機能的であると自負できる自己表現なのです。なんだか最後に湿っぽくなってしまいましたが、これからもこの作品シリーズに少しでも興味を持ってくださる方々へ惜しみない敬意を持って作曲活動を続けていきたいと思う所存であります。ご静聴ありがとうございました!

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